
あーセブンのチョコミントアイスを買いに行くか…
でも家から出たくない…どうすれば…
そんな些細な悩み(というか葛藤?)から、お金が欲しい・痩せたい・美しくなりたい・結婚したい…などの普遍的な悩みまで。目の前の悩みが解決したと思ったら、次の悩みがすかさずやってくる。まるで椀子そばのようだ。
最近の私は以前より悩むことが減ってきたように思うが、それでも大なり小なり悩むことはあるのでそれについて書き出していくことにする。
- 老・病・死について
- 飼い猫のこと
- 自分の価値観・生き方
ざっくり書くとこんな感じだが、以下で詳細を記したい。
生老病死は誰にも等しくやってくるものだ。
そして現在生きている人間が恐れるものは「老・病・死」に違いないだろう。
私にとって今恐怖に感じるのは「老」である。年齢として歳を取っていくことには別に抵抗はない。数字はただの数字でしかないから。
それよりも肉体的・精神的な老いを感じるということに正直悲しみや虚しさみたいな感情がわいてくるのだ。
だからほぼ毎日運動をするし美容医療に頼ってアンチエイジングもする。肉体の老化を防ぐことで心や脳の老化も防げるだろう。
体力があれば外にで色んな場所・人・ものに触れる機会が増える。美容も同じだ。外見に少しでも自信がついてくればおしゃれをするのが楽しくなってくる。そうすると結果として精神的な老化も防げるのではないだろうか。
とは言え、どうあがいても完全に老いから逃れることはできないだろう。
ただ仕方ないと身を委ねるのも楽でいいかもしれないが、それで自信を失い卑屈になって老いを加速させてしまう負のループにハマるくらいなら、私は自分のできる範囲で自分が気持ちの良い状態を保つ工夫をしたほうがマシだと思う。
私は14歳のシニア猫(♀)と一緒に暮らしている。
実家暮らしの頃は母が面倒をみてくれていたが、母が亡くなった後は実家を出て猫と二人で暮らすようになった。
それまではほとんど懐かないツンツンした猫だと思っていたが、歳をとるごとに甘えてくるようになりかわいさも右肩上がりだ。
と前置きはこれくらいにして、飼い猫についての悩みを話そう。
まず猫の14歳というと人間でいう72歳くらいの年齢らしい。今はキャットタワーなど高いところにもホイホイ登っていくが、今後は脚力も少しずつ衰えていくのだろう。そうなるのはごく自然なことなのだが、弱っていく姿を目の当たりにするというのはきっとしんどいことかもしれない。
そして彼女は現在「肥大型心筋症」という心臓の病気を抱えている。
現在表にはその病状は見られないものの、薬でただ病気の進行を遅らせることしかできないのでいずれは心臓から血液を正常に送ることができなくなり、最終的には足など末端のほうから体が動かなくなる状態まで蝕まれてしまうと聞いた。
私に今できることは、なるべく痛みがなく穏やかに過ごせるように彼女をサポートするのみである。
自分の価値観というものをはっきりと言語化できる人は、この世にどれくらいいるのだろうか。
私には自分の価値観をうまく言語化する自信がない。(むしろ今までしたことがない…)
そもそも価値観ってなんだ?
価値観とは…物事の価値についての、個人(または、世代・社会)の(基本的な)考え方。
らしいが、私にはいまいちピンとこないのである。
それは今まで私がそんなことを考えずとも生きてこれたから、考えることすらしなかったから。
周りに流され受け身で生きてきた人間はまず自分で考えようということをしない。(私だ)そしてうまくいかなければ他人のせいにする、他責思考なのだ。
そうならないためにはやはり自分の価値観というもの明確にして、そのものさしに従って生きていくことが大事だと思う。
また別投稿で自分の価値観を言語化する予定!
